
昨日聞いた情報では、今日のほうが風が強いという予報でした。
でも、日本人スタッフの方が「よくハズレるので悲観しないで!」と言われてたのですが、ホテルからバスへの移動時、皆さんで「昨日より風あるよね~」と言いながら乗り込みましたが・・。
そして、セルジューク・トルコの首都が置かれていた地であり、メブラーナ教の発祥の地 ‘コンヤ’ へ約215Km走ります。
コンヤ
メブラーナ教発祥の地、コンヤをめざして走ります。
こんな普通のマンションも国旗を掲げてます。
コンヤの町が近づくとあたり一面は小麦畑一色に変わります。
インジェミナーレ神学校
バスから5分だけ下りて写真撮影で、入り口の門だけ撮影です。
交通量の多い道路に面して建っていて観光バスも多くて、何が何だかって感じです。
メブラーナ博物館
男性が白装束のスカートをはいて、旋回しながら宗教の恍惚の世界へと入っていく旋踊教団の始祖、メブラーナが祀られているモスクです。
メブラーナはアフガニスタン生まれで、父がトルコでイスラム教の布教をするのに伴いこの地に来たようです。
メブラーナは91歳で亡くなるまでに14冊の本をペルシャ語で書いたそうで、回りながらお祈りする時に着る白い衣装は、死んだ人を清めた後に包む白い布を表しています。
モスクの中にはメブラーナを始めとして何人かの先生達が土葬され眠っていますが、埋葬は地下2m以上深く埋めなければならないそうです。
宗教旋舞は現在では行われておらず観光事業化しているようですが、先生を中心に(太陽を意味する)周りに何人かの生徒さんが配置(地球などの太陽を回る惑星を意味する)され回りながら恍惚の世界へと入っていきます。
これはモスクの外観と中庭から見た風景(写真右下)です。
メブラーナ博物館の中庭で会った少女が私を見て ‘にっこり’ と笑ってくれたので折り鶴をあげると、どこからかお父さんとお母さんが来てお礼を言って、「写真を一緒に撮らせてください」と言われたのでパチリ。
なかなかこちらの方は笑わないので、女の子が笑ってくれたときはうれしかったです。
こちらの写真は同じく中庭で会った正装した男の子、お願いして撮らせていただきました。
ここはモスクへ入る前に足を洗って清めるところです。
ホテル・リクソス
ホテル・リクソスは、コンヤで一番背の高いホテルで110mの高さを誇るホテルで、窓からの景色はすばらしいです。
私は2日に及ぶ寝不足と、今朝の寒さと日中の暑さで体調を崩しホテルへ着くとダウンしてしまいました。
ホテルから見た日の出が素晴らしかったのですが、写真を撮るには高層ホテルのため窓が開かなかったのと、窓ガラスに色が入っているのがとても残念でした。
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気球ツアー再チャレンジと自由行動
今朝は、昨日の朝が寒くなかったので上着を1枚少なくしたらなんと寒いこと、「この状態で上空に行けばやばいかも」と思っていると、幸か不幸か今回も強風の為飛ぶことが出来ませんでした。
思い出にツアーの人達とみんなで写真をとりました。
前列の座っている方が気球ツアー会社の女性スタッフで、世界を旅しながら覚えたと言ってらした英語、スペイン語、イタリア語を使って各国の旅行者に説明されてました。
トルコに来てまだ2年だそうで「これに懲りずに、又気球に乗りに来てね。」とおっしゃいましたが、1度で十分です。
ウチヒサール砦
今日は午前中自由行動なので、バルーン会社からホテルへ帰るのを「ウチヒサール砦を見て、歩いて帰りませんか」と声を掛けられたので、みなさんでそうすることにしました。
途中、大家族連れのトルコ人の叔父さんに「写真をいっしょに撮ってください」と頼まれて撮りました。
帰って息子に言うと「チップを要求されることがあるので要注意です。」と一言注意を受けました。
遊び心満載の車をみ~つけた。
トラクターの荷台には楽しい絵が描かれていたり、乗用車の車のエンブレムにトルコ国旗を付けたりしています。。
ウチヒサール砦の入り口に来ましたが、そろそろ開門の7時近いのにそれらしき人影もないので「今日はお休みかもしれないね」一度ホテルへ帰って食事をすることにしました。
朝食を終えて自由時間を楽しまないとソンとの思いで出かけることにしました。
ブラブラ歩いていてウチヒサール砦の頂上に人影を見つけ、入場できることが分かり砦へ急ぎました。
チケットを買って上って行くといっしょのツアーの方もいらしてて、気球には乗れなかったけれどいい所を教えていただいて感激しました。
気球に乗ったらこんな風に見えるのかなと思えるほど素敵な景色でした。
ギョレメ野外博物館
自由行動の後、ギョレメ野外博物館をオプション観光している方達と合流の為待ち合わせ場所へ。
ギョレメ野外博物館を観光した方は「モザイク画が綺麗でした。」と言われてました。
キャラバン・サライ
‘キャラバン・サライ’ って、私はてっきりテント暮らしのらくだの商隊のことで、その方達を訪問するのかと思っていました。
ではなくて、その昔、らくだの商隊が安心して寝泊りできる高い塀で囲まれた建物のことだったのですね。
らくだは1日に25Km~30Km歩けるそうなので、キャラバン・サライも25Km~30Kmごとの造られていたそうです。
王様の命令で造った建て物だったので利用料は無料だったそうですが、キャラバン隊が調達する物資に税金をかけていたそうです。
中に入っても何もないそうで、入場料も取られるそうです。