その後、ダータネルス海峡をチャナッカレ(アジア側)の町からヨーロッパ側へとフェリーで渡り、イスタンブールまで約500Kmの行程です。
毎日、仕事とは言え何百キロも一人でバスを走らせる運転手さんに感謝です。
チャナッカレへ
国土が広いのでこのようなまっすぐの道がよくあります。
チャナッカレ(Canakkale)
トマトとひまわりの産地で有名だそうで、きれいなチャナッカレの町並です。
ギリボル港から出るカーフェリーに乗ってヨーロッパ側の対岸に向かいます。
フェリーは出発時刻も決まっているそうですが、車がいっぱいになると出発時間前でも出てしまうそうです。
ダータネルス海峡
ダータネルス海峡で、1915年トルコ軍はイギリス軍(オーストラリア軍、ニュージーランド軍も含む)とこの地で戦闘を繰り広げたそうですが、今は毎年その時の戦争で亡くなったトルコ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの子孫が集まり、まる一日をパンと水だけで過ごし、寝る時も屋外で毛布1枚で眠り当時を偲ぶそうです。
長閑なこの船旅では想像もできません。
キリトバーヒル(kilitbahir)
20分ほどの船旅でキリトバーヒルに到着です。
イスタンブールへ
風車のある家の風車の上に、コウノトリの巣とコウノトリを見つけたのですが本物かどうか一瞬だったので分かりません。
イスタンブールまで100Kmほどのところを通過、このあたりはずーとひまわり畑が続いています。
日本ではひまわりの種はハムスターの餌(私だけかも?)のように思っていましたが、乾燥させた種を食べるそうです。
そういえば、日本に来た野球のメジャーリーガー達が座っていたベンチの周りには、吐き散らかしたたくさんのひまわりの種が写っていました。
イスタンブールの電気を賄っているのでしょうか、すごい大きな発電所がありました。
もうすぐイスタンブールのようで、郊外の住宅地です。
イスタンブール
ついにイスタンブールに帰ってきました。
こんなビル群は他のどの町にもありませんでした。
イスタンブールへはヨーロッパ各国から長距離バスが出ていて、下の写真のように100台は越える数のバスが停まる巨大バスターミナルがあります。
ちなみに、トルコへの旅行客で一番多いのがドイツ人で年間500万人を越えるそうで、日本人は20万人ほどだそうです。
夕食
今夜は魚料理ですが、出てきた魚の大きさにびっくり、頭から尾ひれまで40cmはありそうです。
お味はシンプルに塩味でよかったです。
お店から金角湾が眺められます。
ウイングム・イスタンブール・オールドシティ
夕刻のイスタンブールは人と車でごった返しており、歩く時はスリに注意が必要で、バスも渋滞で動けず10m
進むのに20分もかかっていました。
オールドシティにあるこのホテルすごく豪華で、4つの建物に分かれていて私たちの部屋のある建物だけでもローカには吹き抜けがあり大きなシャンデリアも小さく見えます。
部屋に入ると、テレビとソファのある10畳くらいのリビングルームがあって、トイレやバスルームは2箇所づつ有るし、寝室にはテレビとミニバーもついています。
ただ不満は、私たちの部屋が広い幹線道路に面していた為、ふだん静かなところで寝ている私たちには、大型トラックが信号で停車したり発車したりする時の音で何度も目が覚めたことでした。
同級生で~す。
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トロイへ
アイワルクの町には海の町らしくお店にもビーチ用品が並んでいます。
アイワルクの町からE87号線を北上しエドレミト(Edremit)の町へと向かいます。
今日も果物満載のトラックや取締り中のお巡りさんに会いました。
チャナッカレと書かれた横断歩道。
トルコは車は右側通行なので、この標識は左の車が赤なので ‘追い抜き禁止’ の標識で、ちなみに、黒い車が左右に並んでいる時は追い抜きオーケーの標識となるようです。
トロイ遺跡
トロイ遺跡は財宝目当てで発掘をしていたシェリーマンというドイツ人が発見したそうです。
復元された木馬が遺跡の入り口にありますが、それ以外は石垣しか発掘されていないので世界遺産のわりには私には拍子抜けでした。
トロイ遺跡の石塀と祭礼台の跡。
トロイ遺跡の競技場。