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トルコ旅行5日目・2014年8月28日(木)

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トルコ旅行5日目・2014年8月28日(木)

ヤズルカヤ遺跡のライオンの門 今日の予定は、世界遺産であるヒッタイト時代の遺跡、 ‘ハットゥシャシュ遺跡’ と、 ‘ヤズルカヤ遺跡’ を見学するためボアズカレを目指し、その後カッパドキアへと向かいます。

アンカラからボアズカレまでは220Km、ボアズカレからカッパドキア240Kmあります。

そして、夕食後はベリーダンスショーを楽しみます。

アンカラからボアズカレへ

 ホテルを8時出発、ガイドさんの話を聞きながらのバスの旅です。

今朝のホテルでの食事にも並んでいましたが、トルコのスイカの美味しいこと最高です。

トルコでは野菜や果物は安くて、5~6Kgのスイカ1玉が100円だそうですが、秋葉原で10万円で買えるパソコンはトルコで買うと16万円くらいするそうです。

そんな話を聞きながらクルッカレやスングルルの町を通りボアズカレへ、そして途中レストランで昼食です。

写真はお昼を食べたレストランとトルコ料理のサチカブルマ(写真下)で、肉と野菜のトマト煮で味はさっぱりしてて美味しかったです。

サチカブルマのランチ
お昼を食べたレストラン

ハットゥシャシュ遺跡

 ボアズカレの町の近くには3つの遺跡がありますが、ハットゥシャシュ遺跡もそのひとつで、赤茶けた大地の中にその遺跡はありました。

バスの中は快適ですが、外はカラッとしていますが気温は35度は越えていると思います。

日差しの強さに負けそうになりますが「さあ、観光しましょう。」というガイドさんの言葉に背中を押されて外へ。

ハットゥシャシュ遺跡の下市

ハットゥシャシュ遺跡は、BC18世紀頃に建設された下の町(下市)とBC14世紀頃に建設された上の町(上氏)に分けられていて、まず下市から見学です。

左下の写真は遺跡の全体図と発見された石棺の跡と復元図です。

ハットゥシャシュ遺跡の地図

ハットゥシャシュ遺跡の石棺の復元写真
ハットゥシャシュ遺跡の石棺

 遺跡の周り石垣が張り巡らされ外敵から町を守るようになっていたそうで、整備された道や家並みの基礎の石が残っています。

ハットゥシャシュ遺跡の石組み
ハットゥシャシュ遺跡の道路
ハットゥシャシュ遺跡の石の塀あと

 ガイドさんの横の緑の石(写真下)だけ他の石と違っていて、つるつるとしていて色も違います。

ガイドさんと緑の石

ハットゥシャシュの町が栄えたころはエジプトと交流があたことや、エジプトには似た石があることからエジプトから運んできた石だろうと考えられているそうです。

 植物らしきものが無いところで、乾燥した大地に適しているようなサボテンに似て棘のある植物発見です。

 名前を知りたかったのですが、このガイドさんツアーの人が質問したら、いつも「ちょっと待って!」と言って迷惑そうに言うので聞けませんでした。

ハットゥシャシュ遺跡で見つけた植物

ハットゥシャシュ遺跡の上市

下市から曲がりくねった坂道を300mほど上ったところに上市があります。

途中何人かの男性が作業をしていましたが、あと1ヶ月もすると雪が降って道路が通行止めになるのでその前に道の補修をしているとのことですが、この暑さの中の作業はたいへんだと思います。

 下の写真は ‘ライオンの門’ で向かって左のライオンの顔は修復された後で右は未修復です。

ハットゥシャシュ遺跡のライオンの門

 下の写真は ‘ライオンの門’ の当時の想像写真です。

ハットゥシャシュ遺跡のライオンの門の復元写真

 上市も石の塀で囲まれていて小高い丘の上にあり、塀の外へは20mほどの坂道のトンネルが掘られています。

ハットゥシャシュ遺跡の上市の石塀
ハットゥシャシュ遺跡の上市の地下道

 下の写真2枚はトンネルの断面図です。

ハットゥシャシュ遺跡の上市の地下道の説明図

 トンネルの上にある門を修復している女性がいましたが、彼女は大学生のボランティアで厳しい日差しにもたえて作業をしていました。

ハットゥシャシュ遺跡の上市のを修復する学生ボランティア

ヤズルカヤ遺跡

 ハットゥシャシュ遺跡から2Kmほどのところにあるヒッタイト帝国の聖地で、最後の王シュツピルリウマ2世が父トゥタルヤ3世を祀るために造ったとされ、天国と地獄が造られています。

ヤズルカヤ遺跡

 天国への細道です。

ヤズルカヤ遺跡天国への細道

 地獄への入り口です。

ヤズルカヤ遺跡地獄への入り口

 ヒッタイトの人々が信じた12の神々で、天国にも地獄にもそれぞれ12神が掘られています。

ヤズルカヤ遺跡12の神々入り口

 祭儀改革を行なったトゥドハリャ4世の彫刻です。

ヤズルカヤ遺跡の偉大な王の彫刻

カッパドキア

 今回の旅行で一番行きたかった場所がカッパドキアです。

 ネヴシェヒルの交差点に飾られた大きな壷(写真下)で、この辺りは赤い川(クズル川と呼ばれる)が流れ、工場ではレンガや素焼きの壷がたくさん作られています。

大きな壷

 ここまで来ればカッパドキアはもうすぐです。

カッパドキアの大地

 キノコのような岩を掘って生活する家族は少なくなっているそうで、今では4軒ほどになっているそうです。

カッパドキアのキノコ岩の家

カッパドキアに着く前にガイドさんが「友達の家は岩を刳り貫いた家で昔ながらの生活をしていて、電話で見学をお願いしたらオーケーをもらったから行きましょう。あなた達ラッキーですよ。」と言って案内してくれました。

 この岩の家はお母さんのご主人のおじいさんが彫って造ったそうです。

 中は涼しく、床や壁にはトルコ絨毯が敷き詰められていています。

ガイドさんとこの家のお母さん

 写真に写っている息子さんと、絨毯の織り方を実演してくれた娘さんからホットアップルチャイをご馳走になりました。

 お味はと言うと、甘酸っぱくてとても美味しかったです。

アップルチャイ

 女性は生涯に3枚絨毯を織るそうで、1枚は実家の両親へのプレゼントで、もう1枚は嫁入り先の両親へのプレゼント、そしてあとの1枚は自分のための物だそうです。

絨毯の機械
お母さんが織った絨毯とガイドさん

 お家を見せていただいたのはたいへん感動もしたし感謝もしたのですが、帰り際にいろんな小物を販売したのには興ざめてしまいました。

 私はてっきり好意とばかり思っていたのでちょっとショックでしたが、あとで冷静に考えてみると「まあ、こんなものでしょうね。」と思いました。

 ‘はとの谷’ でトルコアイスを食べました。

 食感は川越の奥さんがおっしゃってた通りで、ちょっとお餅のように粘り気がある濃厚なソフトクリームでした。

日本のテレビで見るようなアイスを延ばすパホーマンスはどこでも見せてもらえませんでした。

ハトの谷のトルコアイス屋さん

トルコアイス

ベリーダンスショー

ホテルでバイキングの食事をした後、岩山を掘って作られたベリーダンスショーの会場へ、ドリンクのサービスを受けながら楽しみました。

ベリーダンスがあったレストラン

 電飾の踊り子のダンスはメブラーナ教のダンスに似ていて、何度も何度も旋回するすばらしいダンスでした。

 白い衣装の人は40歳半ばくらいで、男性からチップをブラに挟んでもらっていて、ダンサーも良く心得ていて私達日本人のところには来ませんでした。

そんな習慣と言うかマナー知りませんものね。

電飾の踊り子
白い衣装の踊り子

 テーブルにあったフリードリンクで、真ん中の透明なビンがトルコのお酒 ‘ラク’ で水を入れると白濁します。

ドリンク色々

アルコール度数が高い45~50度で美味しくなかったそうです。

ここでもスイカがでましたが、スイカはどこで食べても美味しかったですね。

ギョレメ・カヤ・ホテル(洞窟ホテル)

 洞窟風に建てられたホテルって感じで、一部岩山を削って建てられているように思いました。

このホテルのレストランのバイキングはメニューが豊富でとても美味しかったです。

洞窟ホテルの玄関
洞窟ホテルの寝室
洞窟ホテルの壁

 ホテルの部屋からの眺めもいいし、プールもあって若い人にはいいと思いました。

洞窟ホテルの寝室から外を写す

 トルコではいたる所に国旗が飾られています。

 愛国心の表れと見るか、そうしないと国家の安定が揺らぐのでしょうか?日本では一般家庭で祝日に国旗を掲げる家が少なくなってますね。

洞窟ホテルに掲げられた国旗

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